SS メッセンジャー 2 祖父の日記

偶然見た、Eテレの番組にハマってしまいました。
これです・・
miki.jpg


未沙パパ隆司のお祖父さんの日記のことは、この番組を観る前に書いたのですが・・
あまりにも強い印象だったのと、時期も同じなので、ちょい、引用です

明治の文豪や、昭和初期の哲学者の言葉は難しいけど、なんだか今に生きるひとの心に響くものがあるなぁ。。と思ったのです。。

とても解りにくいです。若干、わざと・・でもありますが。。続きです



11才になろうとしている娘の未沙は、美しく、そして賢い子だった
肩までの栗色の髪。ほっそりした長い首。
未沙の誕生日三月三日の雛祭りだ。
彼女の母であり、隆司の妻である沙紀子と一緒に、にぎやかに雛人形を箱から出して飾っていた。

きっと未沙が成人して十二単を着たら、源氏物語の光源氏の恋人たちのように、美しいにちがいない
雛人形を飾る台座を組立ながら、隆司は思った。統合戦争の最中の、本当に久しぶりの休日だった。

この雛人形は、隆司の祖母が未沙が産まれた時に送ってくれたものだ。そして、隆司の祖母が両親から送られたものでもある。代々受け継がれたものらしい。
これだけは、闇市に持っていけなかったと、後から祖母に聞いた



隆司には、その雛人形に違う思いがある。祖父の日記を、雛人形の台座から偶然みつけたのだ

祖父は旧海軍の軍人でGHQに処刑された人だ。日記を隠す必要があったのだろうか…と、隆司はぼんやりも思った。しかし読み進むうちに、隠さなければならなかった理由を知ることになった。

祖父は、旧日本海軍の軍人でありながら、当時京都大学教授だった哲学者の、西田幾多郎やその弟子たちと交流があったらしいのだ。西田は投獄こそされなかったが、憲兵から危険人物としてマークされていた。

祖父がずっと若いとき、同期の友人が訓練中に落水して死んだのをきっかけに、生きるとは何かと、若者特有な思いにとらわれた。その時に、西田の本を手に取ったのがきっかけのようだ。

西田達との交流については、慎重に書かれていた。そして、他人にうっかり読まれたりしないように、厳重に隠していたのだと、隆司は思った。

・・昭和十三年三月三日
 怖れが生み出すものは、猜疑心と嫉妬と憎しみだけである。人は私の事を理想ばかり云うつまらない人間だと噂する。だが理想を持たずして現実は変えられない。
 もっと人は理想を持って、それぞれの幸福を追求しなければならない

第二次世界大戦の前夜。暗く重く、同調を求める圧力。軍人でありながら、その「重い空気」を、なんとかしようとしていた祖父。
統合戦争を経験した隆司は、そんな祖父と思いを共有できた気がしていた。だが長く続く反統合政府ゲリラ達の行動は、あまりに常軌を逸していた。ゲリラ達は一般市民に化学兵器を使ったのだ。
隆司がゲリラに感じたのは、憎しみだけだった。
そして、隆司の部下が、ゲリラのリーダーを殺害した映像を観た。

あまりにも、無残だった


祖父の日記を思いだした

・・怖れが生み出すものは、猜疑心と嫉妬と憎しみだけである



祖父の日記の最後に書かれた言葉

幸福と幸福感は違っている
幸福感は外套を抜き捨てるように手放すことができるが、幸福は捨てさることは出来ない。
成功が幸福ではなく、失敗が不幸でも無い。
私は生きているかぎり、幸福である。
そして、各々の幸福の力が、日本を再び甦えらせる力となり得ると、僕は信じている

祖父は高潔な人物だ。
それに比べ、自分はどうだ・・。
どうか、娘の未沙は汚れた正義の上に立つ人間になって欲しくない。




「なぁ未沙、君は大きくなったら何になりたい?このお雛様のように、きれいなお嫁さんになればいいね 」

「そうねぇ・・・」
未沙は小さな顎に指をあてて考えた。

「うふふ・・お相手にも依るわ」

未沙は頬を赤くして笑った


スポンサーサイト

2017-04-13 : 未分類 : コメント : 0 :
コメントの投稿
非公開コメント

« next  ホーム  prev »

プロフィール

michy

Author:michy
記事へのコメントは、予告なく削除する場合があります。また、記事と関係のないコメントにはお返事しないか削除する場合があります。